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バックカントリースキーの世界から。 1997 立山連峰にて


1997
 1997年の五月。数シーズンしっかりスキー場で練習をつんだ
僕は残雪の立山連峰を目指した。九州から憧れの雪山は
時間的にも経済的にも遠かった。

いつだったか、積雪が多い年があって、入山中に一度開いた山小屋が閉鎖された年もあった。

 数年かけて夏と秋と立山から黒部の山にかよい、
地形や高山独特の雰囲気をつかんでから遊びにいった。
その間、先輩について山陰の伯耆大山、阿蘇で冬山登山の基本を身につけた。
 その後は冬季の登攀に行くようになり、冬の剱岳を先輩に連れられて登らせてもらった。
とても冬の壁を自由に登るレベルではなかったからです。
 今でも東大谷の高度感を思い出す。
立山縦走して剣沢で1泊、
A1ノーマルルートからピークを踏み、馬場島へ下山。
2日間の縦走登山でした。

 
 

登山がレジャーでないように、カヤックもレジャーではない。
アウトドアスポーツだから、
基本を習得するには練習と、ツーリングの実践しかない。
サッカーや野球は練習してないと、試合は面白くないでしょう。
楽しむにはそれなりの努力も必要ではないでしょうか。

 冬山では、相当慎重でしたが、それでも痛い目に遭いました。
九州のスキーヤーの技術なんて知れています。
 練習は宮崎県の五ケ瀬スキー場で一日中滑り、
リュックを背負って山頂の向坂山を往復した。
シールの使い方もここで練習しました。
 スキー場の賑わいよりも、誰もいない静かな稜線の
ブナが立ち並ぶ美しい雪道を好んだ。

このときもひどい目に遭いながら、なんとか楽しむことができた。
自分にとって初めてのことは何でも素敵なことです。
 剣沢を二股まで30分でくだり、ハイクアップは3時間。バックカントリーってそんなものだ。
 春の雪は良くも悪くもない。朝は凍りついた斜面に
アイゼンを食い込ませハイクアップする。
陽が傾くと雪は堅くしまり、エッジを跳ね返す。

 ざらめ雪を散らしながらすべる時間は昼間の短い時間の間です。
天候が変りやすいのもこの頃で、
 運が悪ければ雹が帽子を叩き、雷が踊る雲の中を
這って進むことになる場合も有る。
 雷鳥は雪に叩き落されたハチやアブ類を春の吹雪の中で食べあさる。

 すべる技術よりも冬山でのテント生活や、バックアップの取り方、
ルート・ファインディング等、さまざまな要素がこのスポーツを魅力的なものにしています。
 
 山スキーは海のカヤックに似ています。
もとは同じ水なのに、凍っていて直接飲むこともできない。
無雪期だと登山道を歩くが、積雪期は雪に覆われた雪原を、
自由に歩き回ることができる。そして、雪原は海原のように変化する。

 雪山から海原へ。
勝手な想像だが、氷河期が終わって海面が上昇すれば、
当時の生き物は移動には、ソリをばらしてカヤックを作ったのだろう。
いまはどんな時代なのだろう。でも現代人にカヤックは合っていると思う。

 その後、僕は移動する手段をスキーとストックから
カヤックとパドルにもちかえた。

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