写真 処分するスクラップブックより
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- 2024年10月08日
湾岸戦争の前、レギュラーガソリンが1リットル/90円前後の時代だった。
次の木曜日に、まさか、ラッキーの引き延ばし機一式と、
フィルムと印画の暗室用品を不燃物とはね。
終活ってこんなことなのか。
30年間捨てられない写真の片付けを続ける。
ベタ焼きとか、どうしたものか。
高価なコンタクトプリンターなんて、なかった時代。
僕らは薬園町のガラス屋で、厚さが適したガラスを切ってもらった。
ネガに巻きクセがつくと、六つ切り印画紙と
縁にビニルテープを巻いたガラスの間でクルクル巻いてしまい、暗室で難儀した。
セレクトにベタ焼きがなくては、ルーペで引き延ばしのセレクトが進まない。
ネガ自体に傷がないか、ネガの状態を確認するため、選んだら、次はキャビネで焼く。
1989 南阿蘇 RG250Γ(GJ21B)3型 ウォルター・ウルフ
最近市内で全紙などの額作成で使う鋲を扱う
大学近くの金物店のトラックを見かけて懐かしく思った。
水に濡らした印画紙を枠に張り、鋲を打った。
いつもベニヤ板を購入してた大学そばの志岐産業も、
今になってみれば、苓北町の地名だ。
遡れば、志岐氏。
左側に立ちごけしてる。
雨の日に電車通りの、白山通りで市電の軌道を跨いだ時に
レールで滑りこけた。
この後、建設中の国道57号の大津のGS横シケインで
ガードレールに突っ込むことに。
現在みたいに道路事情は良くなかった。
工事中で国道57号線は未舗装区間があったし、
アスファルト舗装ではない部分が大半だった。
南北、阿蘇外輪の峠もコンクリート製のレコード盤みたいなワインディングだった。
わずかなギャップにタイヤがはじかれて
グリップを失うなんて、いまでは考えられないのかもしれない。
80年代後半から、バイクブームでタイヤのグリップ力が飛躍的に向上して、
アスファルト舗装が普及するにつれて、
ハイサイド事故が増えた気がする。
白黒写真展をする時は、全て手作りの額だった。
90年代に入ると、四つ切りまでは、市販の枠付き額が手軽に手に入るようになった。
なければ自分で作るのが、確かな時代だった。
写真のサイズに額を合わせて作る。
写真を撮ったらプリントが当たり前の時代だった。
バラバラすぎるベタ。1993年頃か?
撮影はプリント・ライトウエイトシンチラの柄から1993年頃?
2000年代になって、この有名なプリントはリバイバルした。
厳冬期の伯耆大山と登山の先生。
一人パタゴニア日本支社営業部 Sさん。
通いなれたフィールドの一つ 日向神の岩場
芸、術に当てられるアートって何だろう。
確かに人生は短い。
3月の元谷小屋 大山北壁は良い練習場所だった。
6合目の避難小屋を越えた上部の雪庇の割れ目からシュートを繰り返す。
高低差は300メートル弱。
ニセコのトップから花園までは標高差1000メートル、
剣御前の稜線から、真砂沢の出合いも1000メートル。
スキー場か、そうではないか。
一度、下降ルートを間違えて、ボトムまで滑落してしまい、
ちょうど真横で懸垂下降のトレーニング中のパーティーと遭遇した。
斜面は奥にいくほど、雪崩の通り道だった。
3月の元谷は暖かいけど、日射のため上部の谷はクローズだ。
バカは治らない。